2018 18th
Winners/Archives

HOME > アーカイブ > 2018年 第18回 > 本選レポート

本選レポート

宮沢昭男

第1回民音指揮者コンクールが1967年に始まって半世紀を超えた。以来3年ごとに開催され、1988年に現在の名称に変わった。「2018年第18回東京国際音楽コンクール<指揮>」本選が10月14日に行われた。受賞者は下記のとおり。

1位 沖澤のどか(日本)(特別賞・齋藤秀雄賞受賞)
2位 横山 奏(日本)(聴衆賞受賞)
3位 熊倉 優(日本)
入選 アール・リー(カナダ)

日本人の優勝は2000年の下野竜也氏以来18年ぶり。さらに1位から3位を日本が独占した。応募は世界42カ国・地域から238名。東京オペラシティコンサートホールを会場に、第1次から本選まで覇を競った。
世界的なこの規模の広がりは、国際音楽コンクール世界連盟に初めて加盟して飛躍的に伸びた前回(40カ国・地域から239名の応募)に並ぶ。
最初に書類と映像で出場者を選考。今回から「映像予備審査及び映像審査委員会」を設置し、第1次予選に18名(男15名、女3名、9カ国)を選んだ。

本選の課題曲までは、オーケストラとの音楽作りに重点が置かれる。つまり、この指揮者はどんなリハーサルをするのかにポイントを置き審査する。オーケストラは第1次、第2次ともに東京フィルハーモニー交響楽団。
第1次では課題曲「ハイドン:交響曲第82番ハ長調」を審査した(10月8、9日)。持ち時間は20分。コンテスタントは指揮棒を止め、要求を楽員に伝えながら進める。重要なのはこのときのやり取りである。どんなアイデアを出す音楽性の持ち主か。加えてコミュニケーション能力を問う。この点が器楽や歌手のコンテストと異なり、人間の集合体であるオーケストラという楽器を指揮するコンテストの醍醐味の一つ。
第2次予選に8名を選出(10月10、11日)。課題曲は3曲。武満徹「弦楽のためのレクイエム」、バルトーク「管弦楽のための協奏曲 第1、第4楽章」、そしてソリストを迎えるラフマニノ「ピアノ協奏曲第3番ニ短調」。ソロは横山幸雄氏である。
審査の一部は、当コンクールのインターネット公式サイトで見ることができる。指揮者によるテンポの違いはもちろん、どんな要望を、どのように指示するのか、またそれに応える東京フィルの機敏な演奏が、一部ながら聴くことができる。指揮者の顔の表情や動作一つに東京フィルは弾き分け、とても興味深い。ぜひ一度、次のURLでその現場をご覧いただきたい。

コンクールレポート:
http://www.conductingtokyo.org/18th/report.html

審査の結果、先の4名が3日後の本選に挑んだ(10月14日)。ここでオーケストラは新日本フィルハーモニー交響楽団に変わる。コンテスタントにとっては、これも大きな課題になる。だがコンテストに出場し、本選まで残って2つのプロの優れたオーケストラを指揮する体験は貴重だ。若い彼らがさらに飛躍的に成長する起爆剤である。
本選は課題曲メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」と自由曲。自由曲はコンテスタントが予め出場申し込みの際、3曲あげた中から、コンクール実行委員会が演奏曲目を決める。
本選の4人は、1983年生まれから1992年まで9年の幅がある。出場の順は課題曲、自由曲ともに、リー(83年)、沖澤(87年)、熊倉(92年)、横山(84年)である。
課題曲では、やはり経験数の差が音の構築や、棒の振りに出るようだ。つねに腰は伸び、体躯の動きに無駄がない。腕は滑らかに流れてテンポも自在。各パートに随時アイコンタクトで指示を出し、オーケストラの響かせ方もコツを掴んでいる。楽団全体に目配りも行き届き、新日本フィルが豊かに響く。
だがコンクールは魔物だ。最後まで息が抜けない。自由曲は本番さながらに行われ、舞台袖の扉が開けた瞬間から勝負が始まる。出場者順に、チャイコフスキー、リヒャルト・シュトラウス、ドヴォルザーク、そしてエルガーの名曲が並んだ。緊張感を一気に高め、自分の音楽に持ち込むことができるか。

自由曲は自己の得意とする曲だけに、コンテスタントも弾けるように自己の表現を押し出す。新鮮さがオーケストラに乗り移ったり、あるいは慣れが逆に、音楽の高揚感を削いだりするのだろう。私も前半に付けた評価がここで大きく変わる。
審査委員長・外山雄三、審査委員・ウェルナー・ヒンク(オーストリア)、広上淳一、カン・ドンスク(韓国)、アレクサンドル・ラザレフ(ロシア)、尾高忠明、ピーター・パストリッチ(米国)、ユベール・スダーン(オランダ)、高関健。
翌日の入賞者発表記者会見で、外山氏が当コンクールの伝統の意義を繰り返し述べていたことに全く同感である。
また最初の応募者数でが2番目に多かったロシアのラザレフ氏が次のように語ったことを最後にご紹介したい。「日本は指揮のスタイルを確立している。3人の入賞を果たした日本にかつてのソ連時代を思い出した。この結果はその功績だ」。