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HOME > NEWS > <19th> 参加者プロフィル vol.4

第1次予選参加者のプロフィル&インタビューを掲載します。
今回はルカ・ハウザーさん(ドイツ)、齋藤友香理さん(日本)、アレクサンダー・マリネスクさん(ロシア)を紹介します。
<掲載は順不同、以下敬称略>




Luka Hauser / ルカ・ハウザー (ドイツ)

Luka HAUSER(ルカ・ハウザー) 1997年11月14日生

ハンス・アイスラー音楽大学で学ぶ。これまでに、ドゥブロブニク交響楽団(クロアチア)やプロヴディフ国立歌劇場、ブランデンブルク州立管弦楽団(フランクフルト・アン・デア・オーダー)などを指揮。指揮をクリスティアン・エーヴァルト、アレキサンダー・ヴィトリン、ウロシュ・ヤヨヴィツ、レオニード・コルチマーに師事。ピアニストとしても活動し、ベルリン芸術大学でピアノをゴットリーブ・ヴァリッシュに師事。

1)音楽に興味を持ち始めたのは何歳くらいのことでしたか? また、それはどんなことがきっかけでしたか。

両親は音楽家で、私はとても幼い頃からよく母のリハーサルに行っていました。母はオーケストラでヴァイオリンを弾いていました。母は3歳からリハーサルに連れて行ってくれたのですが、小さいころから、1つの曲が終わるまでずっと座っていましたから、私が音楽に溺れていたことは明らかでした。
家ではたくさんの楽器を試してみたかった、それは私にとってゲームのようなものでしたから。両親は私に、ヴァイオリン、トランペット、打楽器、ピアノなどを試させてくれました。しかし私がもっとも興味を持ったのは指揮者で、リハーサルとコンサートの時に指揮者は何をしているのかと、いつも母に質問していました。

2)これまで演奏したことのある楽器と、それを始めた年齢、どこで始めたかを教えてください。

4歳でヴァイオリンを始めましたが、すぐにもっとピアノに興味を持つようになりました。ピアノは多声音楽を奏でられるので、オーケストラの音を模倣することができます。

3)なぜ指揮者を目指そうと考えたのですか?

指揮者になりたいと思った瞬間はありませんでした。オーケストラ奏者に囲まれた環境で、小さい頃から指揮者が何をするかを観察する機会があったので、指揮者になることは10代で培われた自然なプロセスでした。指揮者がオーケストラの音をどのように形作ることができるか、そして指揮者の存在がオーケストラ奏者たちにどのように影響するかは、私にとって常に非常に興味深いものでした。
私が指揮者になりたいと思った重要な理由は、利用可能なのに打ち捨てられているレパートリーです。そこには指揮者にとって演奏すべき多数の交響曲やオペラの傑作があります。そして私が指揮したい作品がたくさんあります。これらのレパートリーへの興奮が、指揮者になりたいと思った大きな理由でした。

4)もし指揮者として活動していなかったとしたら、今何をしていると思いますか?

私が追求したい音楽のキャリアは、指揮者になること以外ありません。したがって、もし指揮者でなかったら、なにか音楽とはまったく違った仕事をしていたでしょう。真面目に考えたことはありませんが、医師になりたかったのかもしれません。

5)指揮者にとって大事なことは何だと思いますか? 

他の音楽家と同じように、指揮者にとって最初に最も重要なことは、彼らが学んでいる、または演奏している音楽を理解することです。つまり、作曲家のスタイルと作曲された時代、作品の分析、技術的な難しさといった、作品に対する非常に深い理解を持っているということです。それに続くのは、長い期間の学びの中で音楽の解釈を通して培われていく演奏家の個人の経験です。
指揮者にとって最も重要な仕事は、音楽の解釈を伝えることと、音楽の実現においてオーケストラ奏者をサポートすることです。指揮者は音を出さないので、彼の音楽のアイデアはジェスチャーを通じてオーケストラ奏者に伝えられます。音楽のアイデアを伝える際の明快さは、指揮者の仕事の最も重要な部分だと思います。

6)東京国際音楽コンクール〈指揮〉に参加しようと思った経緯を教えてください。

このコンクールについては、ベルリンで一緒に勉強している友人から知りました。友人は以前このコンクールに参加したことがあります。
私はいくつかの理由で参加することにしました。私にとって最も重要な理由は、コンクールで指揮をするオーケストラがとても優れていることです。素晴らしい演奏家の可能性は無限大であり、その仕事ぶりはとても充実しているので、私はそれらの非常に良いオーケストラと協力しあい、指揮したいと思っています。このコンクールがこのような状況であることが、私が参加する最も重要な理由です。
私は日本の文化と人々をとても愛しています。それが、参加することに興味を持ったもう一つの理由です。素晴らしい日本の演奏家と出会い、彼らの文化から学ぶ可能性を持ちたかったのです。日本食も大好きなので、また日本に来ました!

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齋藤 友香理 (日本)

齋藤友香理(サイトウ ユカリ) 1983年5月29日生

ドレスデン音楽大学大学院に学ぶ。トーンキュンストラー管弦楽団、リール国立管弦楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団などで指揮。2018年、バイエルン州立歌劇場での《パルジファル》でキリル・ペトレンコのアシスタントを務める。2015年ブザンソン国際若手指揮者コンクールで聴衆賞などを受賞。ゲオルク・クリストフ・ザントマン、湯浅勇治、高関健、梅田俊明、黒岩英臣に師事。

1)音楽に興味を持ち始めたのは何歳くらいのことでしたか? また、それはどんなことがきっかけでしたか。

物心ついた時から家にピアノがあり、母がたまに弾いているのを聴いていました。また4歳くらいの頃、テレビでピアノコンチェルトの演奏を見ていた時、ピアニストがオーケストラの真ん中で素敵なドレスを着て演奏していたのを見て、私も素敵なドレスを着てステージに立ってみたい、と思ったことがきっかけでした。

2)これまで演奏したことのある楽器を教えてください。

ピアノを4歳からヤマハ音楽教室で始めて、その後、個人レッスンを受けるようになりました。それから音楽大学在学中にトランペットを副科で少し勉強しました。

3)なぜ指揮者を目指そうと考えたのですか?

目指したきっかけは、音楽高校でのミュージカルで指揮をしたことです。この時は指揮の勉強などしておらず、見よう見まねでしたが、自分が思った音楽がみんなを動かしていることに気づいて、何とも言えない高揚感が生まれたのを覚えています。それから指揮をすることに興味を持ち、大学に入って副科で指揮を勉強し始めました。そこで出会った最初の恩師に大変お世話になり、音楽の魅力をたくさん教えていただきました。

4)もし指揮者として活動していなかったとしたら、今何をしていると思いますか?

ピアニストとして活動していると思います。

5)指揮者にとって大事なことは何だと思いますか? 

まず、指揮者は1人では成り立たない職業ですので、オーケストラとの音の対話ができることは大事なことの一つではないかと考えます。
そして、音に執着すること、音楽が持っているしびれる場面を追究することも大事だと思います。
これらは私が体感したことからきていますが、良い演奏だと思う時に現れる身体の反応があり、その時、その瞬間の音に執着できる感覚と、身体がゾクゾクしたり、目頭が熱くなったりするような感覚などが音楽の魅力のひとつなのではないかと思っています。それを私以外の方々にも感じていただけるよう追求していきたいです。

6)東京国際音楽コンクール〈指揮〉に参加しようと思った経緯を教えてください。

私が指揮者として仕事をしていく上で、このコンクールを知ることになりました。
このコンクールに参加して、たくさんの作品を勉強し、オーケストラとソリストと音楽する機会を持つことができれば、指揮者として貴重な経験になると思っています。

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Alexander Marinesku / アレクサンダー・マリネスク (ロシア)

Alexander MARINESKU (アレクサンダー・マリネスク) 1988年2月29日生

2018年にリムスキー=コルサコフ記念国立サンクトペテルブルク音楽院に入学し、指揮をアレクサンダー・ポリシュクに学び始める。その後、パヴェル・ブベルニコフ、スタニスラフ・ディアチェンコ、ウラディーミル・フェドセーエフ、ユーリ・レべデフらに師事。現在、サンクトペテルブルク音楽院管弦楽団を定期的に指揮している。また、チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院などでフルートを学び、2013年からマリインスキー劇場管弦楽団のフルート奏者を務めている。

1)音楽に興味を持ち始めたのは何歳くらいのことでしたか? また、それはどんなことがきっかけでしたか。

5歳の時、父からプレゼントとしてカセットプレイヤーをもらいました。それには20本ほどのポップミュージックを中心としたカセットが付属していました。それらはどちらかというと粗野な曲でしたが、私は音楽と、それを自由にいつでも聴けるという事実に完全に魅了されました。
その後、7歳の頃、母がチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の公演に連れて行ってくれました。幸いなことに、私の街にはオペラ劇場があり、バレエ団もありました。それは私の人生で素晴らしい出来事でした。私は母に毎週劇場に連れて行ってくれるよう頼みました。そしてその日からクラシック音楽のカセットしか聴かなくなり、音楽学校に行かせてもらうようにお願いしました。

2)これまで演奏したことのある楽器と、それを始めた年齢、どこで始めたかを教えてください。

8歳の時からミュージックスクールでフルートとピアノを学びました。後には音楽学校などで学びました。

3)なぜ指揮者を目指そうと考えたのですか?

私が子供の頃、毎週オペラ(そしていくつかのバレエ)を観に行っていたとき、私はオーケストラを賞賛し、その日の公演全体を通して音楽的に起こっていることに全責任を負う人がいることを理解しました。そしてそれは人の前にある聖書のように、作曲家からオペラの音楽を直接届けるようなものだとわかりました。
私は若すぎて、オペラの心理的な感覚がわからず、その会話や、歌われている言葉の内容が理解できなかったので、オーケストラは私にとって劇場的世界の真ん中にあるものでした。だから私はただの情熱的な聴き手にすぎず、音楽は私にとても多くを教えてくれました。
すでにその時私は指揮者になりたいと思っていましたが、私の家族と環境はまったく音楽との繋がりがなかったので、どうしたらこの職業に就けるのかを誰も教えてくれませんでした。ですから、先にフルート奏者になることは私にとってより理解しやすいように思えました。

4)もし指揮者として活動していなかったとしたら、今何をしていると思いますか?

今はフルートを演奏することと指揮することのバランスを保つようにしていますが、いつか選ぶ必要があることを理解しています。
指揮をしていなかったら、おそらくフルートだけを演奏していたでしょう。

5)指揮者にとって大事なことは何だと思いますか? 

たくさんのもの
それらから選ぶのは難しいですが、例えば
― 音楽と作曲家に対する愛と敬意
― オーケストラと聴衆に対しても同じです

時には愛は理解しようとする刺激であり、時には理解は作品と作曲家に対する大きな情熱的な感情の始まりです
― そして最も重要なことの1つは、何が重要で何がそれほど重要でないかを理解し、感じることです

6)東京国際音楽コンクール〈指揮〉に参加しようと思った経緯を教えてください。

同僚たちやインターネットから、このコンクールのことを知りました。
私は参加することに決めました。なぜなら、参加しないのであれば、私は自分自身を少し尊敬しなくなると思ったからです。

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