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HOME > NEWS > <19th> 参加者プロフィル vol.3

第1次予選参加者のプロフィル&インタビューを掲載します。
今回は山脇幸人さん(日本)、ジョゼ・ソアーレスさん(ブラジル)、バーティ・ベイジェントさん(イギリス)を紹介します。
<掲載は順不同、以下敬称略>




山脇 幸人 (日本)

山脇幸人(ヤマワキ ユキト) 1992年5月8日生

東京藝術大学音楽学部指揮科を卒業。2015年バイエルン州立歌劇場の研修生としてキリル・ペトレンコやズービン・メータらのもとで研鑽を積み、2019年からNHK交響楽団でパーヴォ・ヤルヴィなどのアシスタントを務める。2019年ロンドン・クラシカル・ソロイスツ指揮者コンクール第1位および第1回マスタリング・ヨーロピアン・マスターズ国際指揮者コンクール第2位受賞。現在、洗足学園音楽大学非常勤講師。指揮を尾高忠明に師事。


1)音楽に興味を持ち始めたのは何歳くらいのことでしたか? また、それはどんなことがきっかけでしたか。

母が家でピアノを弾いていて、それを幼い頃から毎日聴いていたのがきっかけです。それから自然と音楽教室に通うようになりました。

2)これまで演奏したことのある楽器と、それを始めた年齢、どこで始めたかを教えてください。

3歳から音楽教室でピアノを、中学校の時は吹奏楽部で打楽器とハープを、高校に入って弦楽器を演奏してきました。

3)なぜ指揮者を目指そうと考えたのですか?

中学校2年生の夏、吹奏楽部の先生から「指揮者になってみないか?」と勧められたことがきっかけです。その1年後、3年生の秋に、音楽鑑賞教室でセントラル愛知交響楽団が中学校に来ました。その時、僕が指揮をしてオーケストラと共演をさせてもらったことで、夢が固まりました。

4)もし指揮者として活動していなかったとしたら、今何をしていると思いますか?

あまり考えたことはありませんが、おそらく学校の教師だと思います。

5)指揮者にとって大事なことは何だと思いますか? 

オーケストラと聴衆と、音楽の喜びを共有することだと思います。

6)東京国際音楽コンクール〈指揮〉に参加しようと思った経緯を教えてください。

先生方からの紹介です。そして自分の力を試してみたいと感じ応募しました。

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José SOARES / ジョゼ・ソアーレス (ブラジル)

José SOARES(ジョゼ・ソアーレス) 1998年3月11日生

現在、サンパウロ大学で作曲を学ぶ。2017年、カンポス・ド・ジョルドン冬の音楽祭指揮賞を受賞し、マリン・オルソップ、アルヴォ・ヴォルマー、ジャンカルロ・グェレッロ、アレクサンダー・リープライヒらに学ぶ。2019年、パルヌ音楽祭でパーヴォ・ヤルヴィに師事。2018年にはサンパウロ交響楽団の客演アシスタント・コンダクターに招かれる。2020年からミナス・ジェライス・フィルハーモニー管弦楽団でアシスタント・コンダクター。指揮をクラウディオ・クルスに師事。


1)音楽に興味を持ち始めたのは何歳くらいのことでしたか? また、それはどんなことがきっかけでしたか。

初めて音楽を聴いた時のことは覚えていません。私の家族は、昔も今も音楽と芸術が暮らしの一部になっていますから。そして私はその中に生まれることができ、とても幸運だと思っているからです。
母は合唱指揮者です。音楽教育に焦点を当てれば、リハーサルやコンサートが毎日学校に通うのと同じくらい普通のことだっただけでなく、すべての年齢の人々に音楽を教え、歌を通して生徒たちの芸術性を伸ばすこと。それらによって、私は満員の客席から受けるどんなお辞儀も超えてしまうような、音楽の真の力に気が付きました。
ピアノは、他の打楽器や木管楽器と同じように、私たち家族の楽しみの一つでした。母はよく“音楽はまじめな遊び(play)だ”と言っていました。今、この英語の多義語を利用したとしても、私にはとても納得できます。
クラシック音楽のレパートリーの中で、私はほとんど毎日オーケストラ曲を聴いていました。子どもの頃は田舎に住んでいたので、定期的なオペラや交響曲の演奏会はそれほど多くありませんでしたが、だからといって、テレビを通してクラシック音楽の世界を発見できないわけではありません。すばらしい思い出のひとつは、マエストロ・カラヤンがベルリン・フィルでベートーヴェンの交響曲を指揮したDVDを見たこと、そしてすばらしい声楽家たちが出演しているレナード・バーンスタイン指揮の「ウエスト・サイド・ストーリー」の特別録画を見たことです。

2)これまで演奏したことのある楽器を教えてください。

家ですでに楽器に触れてはいましたが、8歳の時にプライベートレッスンで正式にピアノを習い始めました。ずっとそのレッスンを続け、今では私の楽器になりました。7歳の時にヴァイオリンなど他の楽器をいくつか試しましたが、うまくいきませんでした。

3)なぜ指揮者を目指そうと考えたのですか?

音楽的なリーダーシップという考えに、幼い頃からずっと魅了されています。母は私の最初のロールモデルで、私を、人々が最善を尽くして自分自身を表現できるようにする方法を探求できるようにサポートしてくれました。ですから、楽器を演奏することがとても素晴らしい経験になることはわかっていましたが、この情熱を他の人々と分かち合いたいという声は、私の心の中で大きくなっていきました。
高校生の時、ブラジル南部の夏の音楽祭に行きました。本当は他のキャリアを追求することを考えていたのですが、指揮の先生で音楽祭の芸術監督であるクラウディオ・クルスから、”指揮に真剣に取り組むべきだ“と言われたのです。それが、この道を専門的に選ぶ勇気を与えてくれた最初の衝動でした。その後、16歳で指揮の勉強を始めました。

4)もし指揮者として活動していなかったとしたら、今何をしていると思いますか?

音楽と芸術の管理部署。

5)指揮者にとって大事なことは何だと思いますか? 

知識。
しかし私が言っているのは、技術的または学術的な部分のことだけではありません。理論的には、スコアに何が書かれているかを認識し、できる限り最善の準備をしなくてはいけません。私は知識を、音楽だけでなく、音楽の存在を取り巻く他のすべてについて学ぶ動的なプロセスとして理解しています。それは抽象的なように聞こえるかもしれませんが、成功を収めたすべてのミュージシャンが、この絶え間ない知識欲を持っている状態にあります。当然これは、多くの規律と自己改善につながります。

リーダーシップ。
マネージメントスキルは、音楽機関だけでなく、音楽家たちのグループをひとつの方向に導くためにもとても重要なポイントです。スコアの細部のイメージ像からシーズンのプログラミングの全体像まで、これらはすべてプロの音楽家や学生などの人々のために決定され、伝えられなければなりません。人々の性質とその多様性と複雑さを理解することは日常のプロセスです。これは、どれほど効果的なリハーサルができるか、それによって楽団とスポンサーに指揮者を信頼してもらえるかに影響を与えます。そして大事なことをひとつ言い残しましたが、人の力でいかに所属する音楽機関を強固なものにできるか、それは個人のリーダーシップの枠を超えて大きくなり、コミュニティーの共生にもつながっていきます。

謙虚さ。
これは明白で「安っぽい決まり文句」に聞こえるかもしれませんが、指揮者が音を出さないという原則を理解することは、私たちが実際に楽器と物理的に接触している人々に依存していることを理解するための鍵です。そして、作品が他の誰かによって作曲されている場合(ほとんどの場合そうであるように)、私たちは二重の信頼関係にあります。それゆえに、最初の(前述の)2つのトピックを組み合わせてバランスを取り、この3番目のトピックを永続的な考えとして維持することは長い道のりです。

6)東京国際音楽コンクール〈指揮〉に参加しようと思った経緯を教えてください。

私が指揮を学び始めて以来、先生たちはコンクールを体験することの重要性を訴えました。東京でのコンクールのことは以前から聞いており、厳重な検疫期間中にインターネットで発表や規定を読んでいました。
さまざまな心配もありましたが、世界の多様な地域の指揮者に会い、指揮を見られ、集中的に学ぶことができると考え、応募することにしました。結局のところ、音楽とは人々をつなぐことです。

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Bertie BAIGENT/バーティー・ベイジェント (イギリス)

Bertie BAIGENT(バーティー・ベイジェント) 1995年3月26日生

ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジやロンドンの英国王立音楽院で学ぶ。2020年のグィド・カンテッリ国際指揮コンクールで特別賞を受賞。セントルイス交響楽団、トリノ王立歌劇場管弦楽団などに客演。コロラド交響楽団のアシスタント・コンダクター、ロンドン・ヤング・シンフォニアの首席指揮者などを歴任。2017年からウォーターペリー・オペラ祭の音楽監督を務めている。指揮をシャーン・エドワーズに師事。


1)音楽に興味を持ち始めたのは何歳くらいのことでしたか? また、それはどんなことがきっかけでしたか。

私の両親は2人とも楽器を演奏し、定期的にクラシック音楽を聴いています。私が4歳の頃、両親はチェロを習い始めるように勧めてくれました。5歳の時にはピアノを弾き始め、やがて15歳にはオルガンを弾くようになりました。自分の学校のオーケストラと、育った町であるオックスフォードで演奏しました。毎年、ヨーロッパのどこかに演奏ツアーに行き、オーケストラとの共演でたくさんの重要なレパートリーを知ることができました。また私は11歳から作曲を始め、やがてナショナル・ユース・オーケストラに作曲家として参加しました。そのオーケストラでは私の曲が定期的に演奏され、他の演奏家との共同作業の中でたくさんのことを学びました。

2)これまで演奏したことのある楽器と、それを始めた年齢、どこで始めたかを教えてください。

4歳から州のミュージックサービスの先生に師事してチェロを学びました。5歳からピアノを、15歳からオルガンを、どちらもオックスフォードの個人レッスンで学びました。今でもピアノとオルガンは弾いていますが、チェロはあまり練習していません。作曲することは、指揮の他に情熱を注いでいるひとつであり、専門的に続けています。

3)なぜ指揮者を目指そうと考えたのですか?

初めて指揮をした時のことを鮮明に覚えています。学校で行われるコンサートの当日に、指揮を担当する先生の体調が悪かったので、“最後のリハーサルとコンサートの指揮をしてもらえないか?”と頼まれました。
その後、私は学校のオーケストラや、私が所属していた他のオーケストラで、指揮をする機会を探し続けました。ユースオーケストラの指揮者(ジョン・トレイルさん)はとても寛大な方で、オーケストラの時間を割いてくださったので、私はトレイルさんの指揮を見ることと、オーケストラを指揮することで、たくさんのことを学べました。
大学でもオーケストラの指揮を続け、またオペラへの取り組みも始めました。私は徐々に、自分が本当に親しみを感じているのは(作曲することや楽器の演奏ではなく)指揮だということに気づいたので、そこからは自分のテクニックを磨いたり、できるだけ多くの音楽を探求したりすることに集中しました。

4)もし指揮者として活動していなかったとしたら、今何をしていると思いますか?

私は(イギリス人らしく)スポーツクリケットを見るのが好きなので、指揮者や音楽家でなかったら、何らかの形でクリケットに関わりたいです。プロとして活躍するのは不可能なので、解説者やジャーナリストのような人でなくてはなりません。

5)指揮者にとって大事なことは何だと思いますか? 

指揮は奇妙な領域です。なぜなら、今私達が演奏しているクラシック音楽の多くが、現代的な意味での「指揮」をされていなかったからです。過去には、音楽の演奏を主導したのはしばしば楽器演奏者や作曲者でした。たとえば、バッハはハープシコードやオルガンを彼が作曲したカンタータのために演奏し、モーツァルトは彼が作曲したピアノコンチェルトのソロを弾きました。また、19世紀と20世紀の最も有名な指揮者の多くは作曲家でもありました(バーンスタイン、クレンペラー、リヒャルト・シュトラウスなど)。今でも、偉大な現代作曲家が自分の作品を指揮しているのを聴くのは興味深いものです。
ですから、指揮者にとって、多くの状況で、特にトップレベルのアンサンブルでは、それらが厳密に「必要」ではないことを認識することが非常に重要だと思います。しかし、指揮者の役割はともに一緒に演奏すること以上のものであると私は信じています。過去の偉大な指揮者は、指揮は単にタイムキーパーではなく、リーダーシップにおいてはるかに広範で大学的な意味を持つと教えています。これらの理由から、指揮者は創造的な角度から音楽にアプローチし、音楽作品に含まれる可能性を探求する役割を果たすことが不可欠だと思います。私が最も尊敬する指揮者の多くは、別の音楽的個性を持っています。楽器の名ソリストであること、作曲家、学者、教育者、またはこれらの2つ以上の役割です。そして、指揮をすることに別の視点をもたらすことは、新鮮で刺激的だと思います。

6)東京国際音楽コンクール〈指揮〉に参加しようと思った経緯を教えてください。

東京国際音楽コンクールは世界で最も有名なコンクールのひとつであり、アジアで最も有名なコンクールですから、音楽を学ぶ過程でずっとその名前を聞いていました。私は最近、日本の有名な指揮者のコンサートを手伝いました。そして日本のオーケストラと文化の世界を探求したいと思っているので、今年、コンクールに参加することにしました。

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