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HOME > NEWS > 川瀬賢太郎氏 インタビュー

神奈川フィルハーモニー管弦楽団や名古屋フィルハーモニー交響楽団で指揮者として活躍する川瀬賢太郎氏に、2006年の第14回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で最高位(1位なしの2位)に入賞したときのこと、そして現在のコロナ禍で感じていることについて話を聞いた。

── 川瀬さんが指揮者を目指そうと思ったきっかけは何だったのですか。

川瀬 それが自分でもあまりはっきりとは覚えていないんです。父親がクラシック好きで、音楽がいつも身近にありました。僕自身の記憶には残っていないのですが、幼いころから曲に合わせて手を振っていたみたいで。おそらくそれを見た父親が「あの棒を持っている人は〝指揮者〟というんだよ」と教えてくれたのでしょうね。大人数のオーケストラを前に、少し高い台に乗って指示を出している姿がカッコよく見えて、物心がつくころには「指揮者になりたい」と思っていました。

 実は、1歳になる僕の息子がいまちょうど同じようなことをしているんです。音楽が流れると、手を左右に動かすんですよね。その姿を見て、自分もこんな感じだったのかなと想像しています。


── 川瀬さんが最高位に入賞された2006年の第14回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で、何か印象に残っていることはありますか。

川瀬 民音のコンクールでは最初に書類と映像による選考があるのですが、それを通過できたことにまず驚きました。他のコンクールもそうだと思うのですが、このビデオ審査で一気に人数を絞り込むので、ある意味で一番難しいんです。だから次の予選へ進めるという通知が届いたときにはすぐには信じられなくて、何度も見直しました。

 実際に審査員の前で行われる予選に入ってからは、とにかく必死でした。当時は音楽大学に在籍していても、オーケストラで指揮の練習をする機会はほとんどなかった時代です。僕が初めてプロのオーケストラで指揮を振った第一次予選で鮮明に覚えているのは、〝重い〟という感覚。頭の中でイメージしていたようにはうまくいかなくて、振り終わった瞬間に「落ちたな」と思いました。結果として最高位になれたのは、いまだに夢のようです。


── 今年は第19回東京国際音楽コンクール〈指揮〉が開催される予定です。このようなコンクールに参加する意義はどのようなところにあると思われますか。

川瀬 民音のコンクールは、審査員やオーケストラの関係者、そしてお客さんに自分のことを知ってもらう大きなチャンスだと思います。実際、僕も最高位に入賞後は、広島交響楽団を含む日本中のオーケストラで指揮を振らせていただきました。指揮者を目指す人たちにとって自分の力を試せる場が日本にあるというのは、本当に素晴らしいことです。

 民音のコンクールはただ同じことを繰り返してきたのではなくて、回を重ねるごとに進化していると思います。今秋に予定されている第19回の募集要項を見て、うらやましくなりました。入賞者は日本のNHK交響楽団、ハンガリーのブダペスト交響楽団で指揮を振れるのですから。これからどういう指揮者がこのコンクールを通じて出てくのか、とても楽しみにしていますし、将来の〝ライバル〟として注目しています。

── コロナ禍は音楽業界にも大きな影響を与えていますが、川瀬さんは何か変化を感じられていますか。

川瀬 感染症対策にともなう政府からの要請で、去年の春先から演奏会が中止になったり、動画配信に差し替えられたりするようになりました。同じ年の夏、半年ぶりにお客さんを会場に入れて演奏会を行ったときのことです。演奏が終わったあと、背中越しに聞こえてくるお客さんの拍手に〝音色〟のようなものを感じたんです。「拍手にこんな表情があったのか」と。当たり前だと思っていた日常が実は当たり前ではないことに気付けたのは、何より忘れがたい経験になりました。

 緊急時には不要だからと、ここですべての音楽活動を止めてしまうことは簡単だと思うんです。でも一度その流れを止めてしまったら、後から取り返すのは難しい。だから少しでもいいので、音楽を聴きたいという人たちのもとに音を届け続けるのが僕らの役割だと思っています。