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[2024] 審査委員長 尾高忠明氏インタビュー
聞き手:小田島久恵



――尾高先生が2位を取られたのが1970年に開催された第2回目のコンクールでした。その後の指揮者コンクールの変遷はどのようなものでしたか?

「民音が音楽コンクールを作ってくれるということになったとき、齋藤秀雄先生(初代審査委員長)が「コンクールを作るから君たち受けなさい」と言われたのが始まりでしたね。齋藤先生がお亡くなりになって、朝比奈隆先生が引き継がれてしばらくたった頃に、朝比奈先生に呼ばれて「審査委員をやりなさい」と言われた。その頃は僕がコンクールを受けた頃よりスケールが大きくなっていたし、参加者の数も増えて、海外から受ける人も多くなった。そこで、外国人の審査委員の方も呼ぼうということになっていったんです。国際音楽コンクール世界連盟というのがあって、そこに登録するには半数以上の外国籍の審査委員が必要なんです。朝比奈先生もずいぶん頑張ってくださって、全体のレベルがどんどん上がっていった。その後、外山雄三先生が長いこと審査委員長を務められましたが、審査委員の方々もどんどん増えていって、全世界から応募者が来てくださるようになりました」


――インターナショナルなコンクールに成長していったのですね。

「一時期は海外での予備審査も行われていました(1988年第8回~1997年第11回)。なぜ海外での予備審査が行われたかというと、昔は実際にその人の指揮を聴かなければわからなかったからで、今はYouTubeというものがあって、あれにアップロードすると全部見えてしまうという世の中になった。それで今回も291名の応募者をビデオ審査することが出来ました。ビデオ審査も最初の頃は「VHSかベータか8ミリか」で一生懸命用意していたので、待ち時間が長くて……あの頃は本当に大変でした」


――外山先生から審査委員長を引き継がれるとき「こういった理念を継いでほしい」などのお言葉はあったのでしょうか?

「外山先生はそういうことを一切おっしゃらない方で、ただ『任せた』と。実際、外山先生が素晴らしい審査委員長でいらっしゃったので、僕はずっと横にいさせていただいたんですが、ある日『そろそろ変わってくれよ』と。「いや先生、まだお元気ですから大丈夫ですよ」と言ったんですが「この年では何があってもおかしくないし、今僕が急にいなくなると、コンクールは困ってしまうから」と。そこまで言われるならとお引き受けしたんですが、相当悩みました。僕が審査委員長になった19回目はコロナで大騒ぎになり、誰も受けないだろうと思っていたら、今回よりも多くの応募があったんです。しかし、審査委員同士が離れて審査しなくてはならなかったですし、一緒に食事をすることも出来ませんでした」


――今回は審査委員の方々とも普通にお話しすることが出来たのですね。

「今回とても嬉しかったのは、審査委員の方々が素晴らしいことは勿論、皆さんの人柄がすごく温かく、嫌な人は一人もいらっしゃらなかったことです。昔は議論が紛糾することもありましたが、今回はそのようなこともなかったですね」


――コンクールの歴史を見ると1位が出なかった年が続いていたり、1位から3位まで全く出なかった年(2012年)もありました。

「本選で1位がいないということはあり得ると思います。受けた人に対して印象があまり良くなかったとか色々な理由があります。今回の1位のミハイリディスはどこへ出しても恥ずかしくない指揮者ですし、2位の英国のコート=ウッドは本選の藤倉大さんの現代曲が素晴らしく、すごい才能があった。3位の吉﨑さんはそうした二人にはない初々しさがあって、本選ではR・シュトラウスの『死と変容』という大変な曲に一生懸命のめりこんでいって、それが海外の審査委員の方々にも喜ばれていたようです」


――予選では指揮者としてキャリアを積んだ参加者が必ずしも次に進めるわけではない、という印象を得ました。

「経験があるからといって、いい指揮者であるということは絶対にないです。その日その時に指揮台に立ってオーケストラと向き合って、いいものが出るか、それしかないです。僕が若い頃N響で勉強していたとき、『お前、死ぬまでテストされるぞ、毎回見られているからな』とよく言われました。ホルンの千葉馨先生は「指揮者が指揮台に出てきたときから出ていくときまで、僕たちは全部見ている。尾高っていうやつが出てきたら、僕らはこうだっていうのを品定めしている、その中で一番いい演奏をしてやろうというのがプレイヤーである」とおっしゃっていました。譜面台なんか見てない、ずっと指揮者見ているんだと」


――おどおどしていてはオーケストラに足元を見られてしまうと。予選ではシベリウスの『ヴァイオリン協奏曲』で指揮者によって色々差が見えたと思います。

「コンチェルトというものは指揮者なら必ず振らなければならないものですからね。あれは合わせるものではなく、一緒にやるものです。オーケストラを途中で止めるのはいい。止めたら一番いいことを言うべきです。オーケストラがどうやったら一番良くなるか、必要な一言を選んで言う。全部止めちゃったら、その都度悪くなってしまう。指揮者の言いたいことが100あるとしたら、その場で一番言わなきゃならないことは一つしかないんです。シベリウスは多めに時間をあげたんですが、若い子たちはそれが出来ていなかったかも知れません」




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